なぜ旅をするのか。
なぜ旅をするのか。
村上春樹の辺境・近況の中で
自分の目でその場所を見て、自分の足でその地面に立って、自分の手でそこにあるものに触りたかったのだ。
実際にそこに行ってみないと納得できないし、落ち着かないのよ。
そんな言葉が出てくる。
旅をしている人にそう言われれば、なるほどそういうもんなんだなと大概の人は思うんじゃないかなと思う。
僕はどうだろう。
20歳の時ヒッチハイクで東北まで行って、21歳の時自転車で四国を回ったことがある。
なぜそんなことをしたんだろうと思うと、
やらないで数年後やったことがあるひとに会うとやってみれば良かったと後悔しそうだなという感覚と、
今しかできないだろうという感覚があった。
こういうと語弊があるかもしれないが、ヒッチハイク、自転車旅も世間的にOKな年齢制限があると思っていて、あまり変な目で見られたくないという気持ちもあったから。数年後やりたくてもその年ならちゃんと働きなよとか言われたら足が動かなくなるだろうと思い、今しかないとそこまで前向きな感覚ではなく、どちらかというとこういうことやっとかないと人生つまらないかもなという微妙な感情で旅を取り組んでいた。
あれから、3.4年経ったけれどあの時の経験が生きているかというとほとんどない。
でもやっている最中は苦しかったりする場面もあったけれど、面白かった。だからやって良かったなと思う。
最近旅にいくことに対して意味あんの?と質問していきて、うまく答えられなくて、
何もねえじゃんとマウントとられて、そのことがムカついて、何日間かお前は何か意味あることやってんのかよと悶々と心で悪口を言っていた。
でも今はこう言える。
興味がある行ったことがないところに身を置いてみたかった。
意味は特にないけれど、楽しかった。
僕はそれでいいんです。
村上春樹の話に戻るけれど、実際に見て、立って、触れて見ないとわからないことがある。もしかしたら何もわからないかもしれないけれど、わからないことがわかったと思えばいい。僕はこういうものには反応しないんだと。
これからも旅をしようと思う。
旅に意味があるのかないのかはどうでもいい。
その場に身を置いてみる。旅しても無駄という人がいても、僕がしたいんだからそれでいい。いろんなとこ行った方が人生面白そうだし。